9/25(水)なんてないブダペストでの1日
体調がマシになったので、近くのショッピングモールへ行ってみることにした。
路面電車に乗って、2駅で下車。
この路面電車のシステムがよくわからない。乗る時も降りる時も、チケットを誰にも見せないし、機械でチケットと読み取ったりもしないのだ。ただ、さっと乗って、さっと降りるだけ。これだと無銭乗車し放題になると思うのだが。
トイレはどこでもお金をとるくせに(無料のトイレを見たことがない)、公共交通機関の料金はきちんと回収しないのだろうか。
路面電車を降りてから、ショッピングモールまで10分くらい歩く。
人が少なく、静か。ここは観光地から外れた住宅街のようだ。3階建てくらいの建物が並び、バルコニーには赤やピンクのお花が飾ってあって可愛い。私もイタリアに住んだら、バルコニーをあんなふうに飾るんだろうか。
道路の脇に、工事現場の作業員たちが3人並んで座り、コーヒー片手に携帯電話をいじりながら休憩していた。
よく見ると道路には犬のフンが所々に落ちていて、建物の壁にはスプレーで何かの文字が雑に書かれている。ゴミ袋を持った身なりの悪い男が、道に設置されているゴミ箱に手を突っ込んで、空き缶か何かを探していた。その男性が私の真後ろを歩いた時、念のためさっと反対側の歩道に移動した。疑って申し訳ないが、トラブルに巻き込まれるのはごめんだ。
ブダペストに来てから、浮浪者のような人が目につく。地下鉄の構内には、地べたで寝ている中年男性や階段に座ってお金を恵んでもらおうとする老婆、観光地のベンチにうずくまるように座っている薄汚れた若者など、どの国でも生きていくのは皆、大変なのだ。
ショッピングモールは3階建てで、大きすぎず、足早に見て回るのにぴったりなサイズだった。
まず、フードコートで、中華料理を食べる。ブダペストに来てからご当地料理を食べたのは1回だけで、それ以外はずっと中華やタイ料理を食べている。
体調が思わしくないので、肉中心の味の濃い西洋料理を食べるのがしんどい。何より値段が高い。アジア料理の方が安くて自分の口に合う。この日の中華料理は、約1300円だった。レストランに入ると、この2倍くらいするのだ。
昔は海外旅行へ行ったら、必ずその土地の料理を食べていた。10年前の自分が今の有様を見たら、きっと笑うに違いない。歳をとると、自分の慣れ親しんだものから離れずらくなるようだ。
ニューヨーカーというファストファッションの店で、薄手のパーカーを購入。3000円弱と思いのほか安かった。
ショッピングモールを出ると、近くのカフェで、何をするでもなくぼんやりとしている人がちらほらいる。エスプレッソでも飲んで帰ろうかと思ったが、疲れてきたのでホテルに戻ることにした。
なぜだろう。歴史的建造物をひたすら見て回った日よりも、住宅街を散歩して、ハンガリー人に混ざってフードコートでご飯を食べ、買い物をし、路面電車に揺られて帰ってきた今日の方が楽しかった気がする。
ブダペストの滞在は、あと2日の予定。
夜景は一体いつ見に行こう…。

9/24(火)ブダペストで夜景も見れずに
昨夜、さて寝ようと思ったら、何だか喉がとんでもなく痛い。
夕方くらいから喉に違和感があり、のど飴を舐めてはいたものの、そのイガイガ感はどんどん増していき、寝られないレベルになった。
体もだるい。微熱もある。
まさか、これはコロナでは・・・。
私は今年4月にバリでコロナを発症していて、その時の様子にどこか似ている。
このまま行くと、きっと熱がどんどん上がってくるに違いない。
困ったな。バリから日本は近かったから、すぐに飛んで帰ったけれど、ブダペストから日本へ戻るには遠すぎる。長距離フライトに耐えられるだけの体力が残っていない。
一体どうなるんだろう・・・。
そんな不安を抱えながら、寝たり起きたりを繰り返しながら朝を迎えた。
ホテルの近くの薬局に、トローチとコロナの検査キットを買いに行った。そして、検査してみると・・・陰性だった。ホッ・・・よかった。
コロナに感染していたら、面倒なことになるところだった。
来週イタリアで夫と合流して、年内に引っ越しすることになる新居の内覧をすることになっていたからだ。ヨーロッパに来たのは、そのためでもあった。
薄暗いホテルの部屋でベッドに横になり、1日安静に過ごした。私ははるばるブダペストまで来て、一体何をしているのだろう。ここに来た本来の目的『ドナウの真珠』と称される夜景をまだ見ていない。果たして、見られるんだろうか・・・。
もともと約1ヶ月、約100万円で、トルコ、ハンガリー、ポルトガル、イタリア、モロッコ、ペルーかメキシコを訪れる世界一周旅行をして、旅行記を書く予定だった。
25歳くらいの時、沢木耕太郎の『深夜特急』を読んでから、世界一周をして旅行記を書くことが夢だった。その夢を遅らばせながら、去年10月から何回も実現しようとしては、なぜか実現できなかった。祖母の死、足の小指の骨折、夫のイタリア赴任、そして今回は出発したのにこうして体調を崩し、ホテルで寝たきりになってしまった。なぜなんだろう。世界一周などするなということなのだろうか。
この先、体調の悪いまま旅などしてもつまらないだけ。来週のイタリアの新居の内覧まで頑張って、もう帰国しようか・・・。
それにしても夢だったとはいえ、どうして私はここまで世界一周にこだわるんだろうと、ふと不思議に思う。
単に、複数の国を連続的に旅行し続けるだけのことなのに。
もしかしたら、25歳の頃の自分が思い描いていた「世界一周して本を書けば人生が何か変わるかもしれない」という幻想に、41歳になった今もなお取り憑かれているのかもしれない。
次から次へといろんな国を通り過ぎていくだけでは、人生が変わるはずなどないというのに。
(人生を変えたければ、旅に逃げるのではなく、現実と向き合うことが必要なのではないか)
私は結婚後、転勤妻になってから、独身の頃のようにフルタイムでバリバリと働けていないことに、ずっと劣等感や焦りを感じていた。
日本語教師、ライター、ティースタンドのオープン、研修講師など、新しい土地で自分ができる仕事を探しては、フリーランスという形で色々と挑戦してきた。
しかし、ここ2年くらいは、なぜかもう頑張れなくなっていた。
転勤妻になってから9年間やってきた「自分ができそうなこと」は、自分のやりたいことではなかったのかもしれない。
それに、エネルギーを振り絞って新しい仕事に就いてもどうせまた夫の転勤で辞めることになる。「どうせ頑張ったって無駄」という、ある種の無力感に陥ったのかもしれない。
もう自分にできそうな仕事を探すことすらせずに、私はこうして旅に逃げたのだ。
(こんな旅行、来なければ良かったのかな)
そんなふうに思いながら、携帯電話で撮った写真を見ていたら、そうでもなかったのかなとも思う。
イスタンブールでモスクをバックに笑顔でピースをしている自分、私の膝ですやすやと眠っていたトルコの子猫(私は猫が好きでトルコへ行ったのだ)、サバサンド、ブダペストの美しい街並みをバックに微笑んでいる昨日の私・・・。
年末くらいになれば、ブダペストで夜景も見れずにホテルで寝たきりになったことすらも、笑い話になっているのだろうか。
どうなの?3ヶ月後の私。

9/23(月)ブダペストの王道観光よりも自分だけの旅を
ブダペストの王道の観光地を歩いたが、はて、なんだろう。このつまらなさ(失礼!)
確かに、歴史ある教会の造りは美しく、中に入ればスタンドガラスや壁一面に描かれた絵などを見ては、ほぅ〜と思う。
漁夫の砦やブダタワー、その他名前すら忘れてしまったが、あれこれと見たと思う。
しかし、私には建築やブダペストの歴史の知識はなく、キリスト教徒でもないので、きれいだなぁ。とか、ほぅとかいう、薄っぺらな感想しか出てこないのだ。
やはりガイドを雇うべきだった。値段が高いからとケチったばかりに、薄っぺらい経験になってしまった。

その後、パブで約2800円もする、ハンガリー名物のパプリカ料理(パプリカでできたソースがかかったトマト風味の巨大ロールキャベツだった)も食べたが、1人では食べきれず、大半を残してしまった。なんだか無駄にお金を使っている気がして、気分が沈む。

唯一、感動したのは、高地からみたブダペスト市内の景色の美しさだろうか。昼間でこれだけ美しいのだから、夜景はさぞ見応えがあることだろう。それを早く見に行かねば。

なんだか、いつもの自分の旅と違うなと思う。
いつもはガイドブックではなく、Googleマップを見て気になった場所へ行ったり、ブラブラして面白そうな場所を自分で見つけたりしていたはずだ。
誰かに用意された観光地をなぞるだけでは、自分を満足させられないのに、私は何をしているのだろう。
(明日はガイドブックにない、自分だけの旅をしよう)
そんなことをカフェでぼんやりと考えながら、今日1日を締めくくったのだった。
9/22(日)イスタンブールの5日間は一体何だったんだろう
日本を出てからはや1週間。イスタンブールに5日滞在し、昨日、ブダペストにやってきた。久々に湯船に浸かれて筋肉が緩んだからか、やっとまともに寝られたような気がする。
ここまで、色々ときつかった。
今回は韓国経由で飛んだのだが、まぁ、41歳の体にはこたえた。韓国に1時半ほどで到着し、乗り換えのために広い空港内を長いこと歩いて、イスタンブール行きのフライトゲートで搭乗を待っている時に、もうすでに疲れが出ていた。
そこから約10時間半、あの狭くて窮屈なエコノミー席に縮こまって座っていたのだ。おまけに、前に座っていた韓国人のおばちゃんが容赦なく席を倒してきたので、ストレスが溜まってしょうがなかった。
イスタンブールに到着したのは日本時間の夜中の1時くらい。
そこから30分くらいだろうか。ホテルに手配してもらっていた車に乗り込んで、宿に到着。
「スイートにアップグレードしておいたよ」
と、スタッフが得意げに言った部屋に入ってまず頭に浮かんだことは
(え?なんかボロないか。これやと、インドで泊まった1泊3500円の宿の勝ちやぞ・・・)
だった。1万円の宿の割に、かなり年季が入っている。浴室の壁は剥がれ落ち、トイレットペーパーを巻き取ると、トイレットペーパーホルダーはバラバラになってガシャンと床に落ちた。ここのホテルなのか近隣のホテルなのかわからないが、夜中まで屋上レストランから大音量の音楽が聞こえてきて、寝られない。しまいには、トイレの水が流れなくなり、お手上げ。
このままでは体力を回復できないので、3泊した後、安心して寝られる4つ星ホテルに変わった。しかし、事件は起きた。
イスタンブールの滞在が最後の夜。
近くのバーでトルコワインを1杯飲んで、あぁ、宿を代わってよかったなぁと思いながら、ホテルに戻ってきた時のこと。
レセプションを通り過ぎて、エレベーターに乗ると、スタッフが追いかけてきて、私にこう言ったのだ。
「部屋番号は何番ですか」
「は!?」
私のことを金も払わずに泊まっているモグリだとでも思ったっていうの?
カードキーを見せながら、自分の顔がみるみるうちに恐ろしい形相になっていくのを感じた。
「そのような質問をされて、ものすごく不愉快です。あなたは私が不審者とでも思っているんですか」
「いいえ、そういうわけでは」
「これまでそんな質問されたことなんかありません。アジア人にだけ、そのよう質問をしているんですか?」
私は海外旅行中は服装にこだわらないので、この日もユニクロのシャツにジーンズという洗練されていない服装をしていた。他の西洋人の客に比べれば、服装も顔も安っぽいかもしれないが、人を見た目だけで判断するなんておかしい。
「違います。国籍関係なく確認しています。あなたのセキュリティのために」
「私のセキュリティのためですって?」
こんな調子で部屋に戻ったものだから、頭に血が上って、全く寝られなかった。
イスタンブール滞在中にいろんな人が親切にしてくれた。
問題があったにせよ、はじめに滞在した宿のスタッフは親切でフレンドリーだった。あるレストランでは食後にスイーツとチャイをオマケしてくれて、1人だったからなのか、なぜか会計も値引きしてくれた。
美しい景色をバックに携帯で自撮りをしようとしたけれどうまくいかず諦めた時に、私の様子を見ていたイギリス人女性がわざわざ写真を撮りましょうか。私も1人旅をよくするから、気持ちがわかりますよ、と、話しかけてくれた。
新聞を脇に抱えたおじいちゃんに道を聞くと、わざわざいろいろな人に聞きながら連れて行ってくれて、最後に携帯電話の翻訳機能でこう忠告してくれた。
「人を信用し過ぎないように。警察に聞きなさい」
そういった良い思い出が「部屋番号は何番ですか」という不躾な一言で、全て色褪せてしまった。
私はもともと外見で判断されることに、強い抵抗があった。
私が太っていた小中学生の頃に、母はよく
「せっかく可愛く産んでやったのに」
と無神経に言ったものだった。
外見が美しくなければ認めてくれなかった母親に対する怒りのようなものが、私の容姿を見て不審者扱いしたスタッフによって呼び起こされたのだろう。
そんなわけで、長距離フライトと時差ボケ、宿のトラブルのせいで、疲れは最高潮に達し、ブダペストに到着した頃には、
(あのイスタンブールの5日間は一体何だったんだろう・・)
という感じだった。何を見たのか記憶に残っていないのだ。
やれやれ・・・。
